【5667】幼稚園とバレー。

2020年7月8日(水)

ノンストップで16年目突入。

連続更新5667日目の超個人的日記です。


◆幼稚園の香り


一昨日幼稚園での面談を通して

見て・聞いて・感じたこと。


たくさんの小さな椅子、

園児が描いた色鮮やかな絵、

しつけに関する先生方の気配りシート、

たくさんの絵本や遊具・・・・


遠く忘れていた記憶が蘇る

とても素敵な場所だと思います。


ちょうど壮大なボリュームで

自分史を綴っていることもあり、

今日は全く皆様にとってどうでもよい

「私の幼稚園時代」の話を抜粋し

お届けします。


一言で言うと「平凡な園児」ですので

お忙しい方はここで終了してください(笑)



◆モンテッソーリ教育


自宅から離れた

私立のカトリック系幼稚園に

「マリア号」というスクールバスで通う。

見送りの母親が見えなくなるまで

バスの中から手を振っていたそうだ。


幼稚園時代に輝かしい思い出は1つもない。

全く目立たない「その他大勢」の園児。

中心になって何かをやった記憶はゼロ。

けっこうお荷物園児だったと思う。


授業中にトイレに行きたくても

手をあげられず、よくお漏らしをし、

集金袋に「下着代」という項目が並んだ。

(時間割ごとの授業だった記憶がある)


外に出ればスキップできない、

縄跳び飛べない(しかも前跳び)、

傘差せない(よってジャンプ傘)、

靴ひも結べない(よって紐なし)、

最初の頃はお弁当袋すら開けられない

(よってマジックテープ)、

とにかく不器用な子供だった。


平日は幼稚園と家の往復。

しかし、特殊だったのは休日。

中学のバレー部の監督だった

父親に連れられ、

体育館へ練習を見学に行った。


ここから先は幼稚園時代から始まる

数年間の出来事に時間軸を広げるが

部員とともに声を出し、

スパイク練習ではボールを拾い、

退屈になったら跳び箱とかを出してもらって

1人練習していた。


◆私と中学校


幼稚園〜その後小学校を通して、

中学校が遊び場の一つだった。


休日のみならず、例えば夏休みに

職員室で扇風機をかけて勉強したり、

中学校のプールで水泳部の

お姉さんたちと一緒に泳いだり、

バレーの練習見学を抜け出して

野球部の練習試合を声を枯らして応援したり

中学生の中に幼稚園児(小学生)が

いつも1人混じっているという状況だった。


年に数回行われる地区大会や

選抜県大会も必ず応援に行き、

優勝旗や賞状に囲まれた

父親や選手たちに混じって、

子供の自分が一緒に写っている写真が

何枚も残っている。


県大会の行き帰りは当時の「汽車」。

西鹿児島駅構内で選手たちと一緒に

大騒ぎしながら「白熊」を食べた。


時を経て、自分が中学生になり

ユニフォームを着て試合を迎えた時

多くの中学のバレー部の顧問の先生たちから

「おーーついにこの日が!」

「10年くらい前から知ってるぞ」

「小学生の頃からベンチに入って

選手たちにゲキを飛ばしていたねー」

といった言葉をたくさんいただいた。


確かに中学校のオフィシャルな大会なのに

自分はベンチに座ってた記憶がある。

あれはルール的に「あり」だったのか?


実は、私は父親のいる中学に進学。

入学式後に職員室に呼ばれ

「学校では親子の縁を切る」と告げられた。

(そしてその親子の約束は3年間守られた)


父親に3年間毎週授業を習い、

2年の時は副担任で修学旅行まで一緒に行き、

バレー部では監督とエースという立場で

日々を過ごすことになる。


親ではなく、先生であり、監督。


今思うと貴重な体験をした。









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