【5330】第1章:最終話「小さな上り坂」
2019年8月6日(火)
ノンストップで15年目突入。
連続更新5330日目の超個人的日記です。
◆第7話:小さな上り坂。
気づいたことがある。
今歩けば、ほぼ平坦。
しかし、よく見ると
なだらかな勾配の道は
その当時の身長・歩幅からすると
「急な上り坂だった」のだと。
歩き始めた頃・・・ということは
この体感の記憶は
おそらく1〜2歳なのだろう。
この島での経験を通して、
私は「視界の違い」を学んだ。
島ではもちろん、
20年の時を経ても変わらぬ人の繋がり。
親が生きた時代や場所を
体感する素晴らしさ。
古き記憶が蘇る感動も味わった。
あなたもぜひご自身の
ルーツの場所を訪れてほしいし、
親から伝え聞いた場所に
足を運んでみてほしい。
親の思い出の場所を親子で共有し、
語れるなんて、とっても素敵なことだ。
ただ、それ以上に、
1歳の自分が歩いた上り坂と
24歳の私が歩いた平坦な道が
同じ道だったことに
何よりも深い着想を得た。
人は同じものを見ていても
時によって体感が異なる。
ましてや自分以外であればなおさら。
例えば、会社では
新人が見ている世界と、
マネジャーが見ている世界。
例えば、家庭では、
子供に見えている世界と、
親が見ている世界。
目の前にいる相手との
立場・経験・スキル・背景が違えば、
視界は異なる、という
手垢のついたような教訓が、
まるで3歳児の時に戻ったように
素直に腹落ちした。
相手と意見の相違が起きた時、
立場の違いを感じた時、
私はよく、この上り坂の光景を思い出す。
私にとっては
目をつぶって歩ける平坦な道、
でも目の前の子供や後輩にとっては
急勾配の上り坂に感じているのかもしれない。
その時に
「こんな道も歩けないのか!」は
果たして正しいアドバイスなのだろうか?
また、これは自分自身に対しても言える。
過去、「できなかった」
「失敗した」「恥ずかしい経験をした」
その自分に対して
厳しい捉え方をしていないだろうか?
その時はまだ幼かった。
その時はまだ力が備わっていなかった。
その時はまだ急勾配の上り坂
だったのかもしれない。
しかし、その自分がいたからこそ、
今の気づきや挑戦を
得ることができるのだ。
長い月日を経て、今私は、
一人ひとりと「協働」し、
シナジーを生み出していくことを
常に意識している。
そのために、絶対忘れてはならないこと。
相手が見ている現実を理解するために、
同じ場所に立つ。
3つ子の学びを一生忘れることなく、
相手の立場に立てる人でありたい。
「大切なことは、大切な人が
大切なことを、大切にする」
甑島で見つけた、
私の人生の座右の銘だ。
読んでくださっている
あなたの立場にとって
少しでも気づきが起きれば幸いです。
**第1章「小さな上り坂」~おわり~**
第2章は「上町ロケット」
公開はいつの日か(笑)
0コメント