【5324】第1章:小さな上り坂(1)

2019年7月31日(水)

ノンストップで15年目突入。

連続更新5324日目の超個人的日記です。


昨日から大阪に入りました。


それでは、令和の夏記念スペシャル!

第1章「小さな上り坂」

スタートさせていただきます。


*書いてから1か月引っ張った、笑



◆第1話:「3歳のキオク。」


*ブログ用に改行を短めにしています。


生まれてから間もなく、

中学の教員をしていた父親の仕事の転勤で

上甑村(現:薩摩川内市上甑町)という

離島の小さな村で暮らすこととなった。


鹿児島県は26もの有人離島が存在する、

日本有数の離島県。


全国的にも有名な、屋久島や種子島、

奄美大島といったほとんどの離島は

南西諸島に位置するが、

甑島(こしきじま)は薩摩半島から

西へフェリーで1時間ほどの、

東シナ海に浮かぶ島だ。


私は生後0歳から3歳(たぶん)を

この島で過ごした。


たぶん、、、と言ってるくらいなので、

さすがにその頃の記憶は乏しい。


ただ、ほんの3、4名ではあるが、

お世話になった方の名前や

港の近くに家があったこと、

そして、父親が再び転勤で

島を離れる時のことはハッキリと覚えている。


私たちが島を離れる日。


多くの生徒や保護者の方々が

フェリー乗り場に来てくださり、

色とりどりの紙テープを手に持ちながら

「お元気でー」「また戻って来てねー」と

涙ながらに手を振っていた、その姿。


船が港を離れるにつれ、

手に握った紙テープが1本切れ、2本切れ、

無常にも海に流されていく。


これがしばしの別れを意味することは

3歳児ながらに理解した。


自分も黄色だったか、ピンクだったか、

何本かの紙テープを握りながら

手を振った記憶もある。


その小さな島に、約20年の時を経て、

まさか戻ることになろうとは。


またその際、20年以上前に、

たった3年間だけ住んでいた

赤ちゃんの私のことを覚えてくださる方々に

大歓迎されようとは思ってもいなかった。




~第2話「20年ぶりの故郷」に続く~


いよいよ夏本番。

7月おつかれさまでした!

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