【4871】第3回秘話(2)~小田さんとの出会い
2018年5月4日(金)
ノンストップで14年目突入。
連続更新4871日目の超個人的ブログです。
~人生の思い出シリーズをお送りしています~
ご存知の方も多いですが、
私の人生の方向性を決めてくれたのは
小田和正さんでした。
小学校5年生の時に早大を志望。
10年後、2年の浪人生活を経て、
早稲田大学に入学。
学生時代に一番打ち込んだ出来事が
稲門祭と呼ばれる新入生歓迎会。
全国から入学してくる新入生に、
大学生活の一歩を踏み出してもらうために
歓迎するイベントで、
大学にとって「聖地」である
大隈大講堂を使用できる公式行事でした。
早稲田の象徴、大隈講堂。
しかし、在学中に大隈講堂に入る機会など
ほとんどありません。
ましてや自分たちがその聖地で
イベントを主催する・・・・
非常に真剣に臨まねばならない
大きな戦いでした。
◆就活を行わない決断
準備が始まったのは
3年生の12月。
イベントは4年の5月。
多くの仲間が就活を始め、
OB訪問や会社説明会に行く中で
私たちは、連日企業へのアポ取り電話。
私たちは
就活をしない(中断する)
という決断をし、
このイベントに臨むことになりました。
今そんな決断をする学生は「アホ」だと
言われるでしょうが、その当時の私たちも
「アホだ」と言われました(笑)
◆撃沈の日々
後輩たちのために
イベントを絶対に成功させる。
携帯もない当時、
公衆電話に10円玉を何枚か入れて
何社も何社も電話をかけました。
飛び込み営業含め、
200社くらいアプローチ。
挨拶や気合は諸先輩方から鍛えられていましたが
イベントの企画立案やそれをどうやって
企業の方々にプレゼンするのか?
どうやったら会社のお金が動くのか?
全くわからないまま
新宿へ、大手町へ、半蔵門へ、池袋へ・・と
名刺と企画書を持って
学ランで通いました。
何度も断られ、
何度も話がすり替えられ、
「いいねー、検討しときます」が
実は断り文句だということも
その時に学びました。
「大人は何てウソツキなんだ」と
夜な夜な高田馬場の居酒屋で
半泣きになりながら語りました。
(単に営業力がなかっただけです、笑)
会っていただいたのは
店長さん、院長先生、広報責任者、
状況によっては社長・・・
学生の気合一辺倒の
ごり押し営業に、何度もお叱りを受けながら、
最終的には数百万の協賛金を集めました。
この活動を通して
私は就活以上の学びを得たと思っています。
◆社会人との商談
特にKDDI広報部の皆さんには
ものすごくお世話になりました。
新規で本社に飛び込み、
注意され、追い出され・・・
でも次のヒントをいつも出していただきました。
「こんな企画じゃダメだね。。。」
「せめてここをこう変えてもらえないと・・・」
「ありがとうございました!」
「またアポイント取らせてください!」
本社を出て1分後、
本社の目の前の公衆電話からアポ電話。
「たった今断られた早稲田の学生です」
「1時間後、修正した企画案を持っていくので
今日中にもう1回アポを下さい!」
「えっ?今会ったよね??(あきれている)」
「わかった。じゃあ来週持ってきて」
(そういって多くの企業が次のアポをくれない)
「いや、何時でも待つので今日もう1回!」
「今日退社される際に渡すだけでも!!!」
「うーーーん、わかった。
じゃあこれから会議なんで2時間半後に来て。」
「ありがとうございます!」
といったやりとりが何度も続き、
最終的にKDDIさんは新規で
広告掲載を行っていただくことになりました。
お金が集まらず、
企業の方々からも何度も断られ、
先の見えない不安と戦う中で
私たちは「イベントのコンテンツ」で
勝負するしかないという決断に至ります。
行動量はある。
何度断られてもめげない。
(いや、実際はかなりめげてて
そろそろこの流れを止めたい、、、、)
でも、断られるということは
企業の皆さんにとって
費用対効果が見込めないからだという
今思えば当たり前のことに
ようやく気づくことができました。
単純なことですが、
自分たちの思いが強すぎて
クライアント目線を履き違えていたのです。
◆イベントの価値を上げるために
会場満席にすることがまず大事。
母校の先輩でトップアーティストを呼ぼう。
口で言うほど簡単なことではないし、
莫大な費用がかかるのも、百も承知。
しかし、そこに狙いを定めて
営業活動とは別の、
「出演依頼活動」という
もう1つの大きな山に挑むことになりました。
我々が選択した、第1候補は当時、
「ラブストーリーは突然に」が大ヒットし、
世代を超えた多くのフアンを持つ
小田和正さん。
大学3年春休み。
日中は企業の宣伝部や広報部への
営業活動でボコボコにされながら、
小田和正さんが大隈講堂に立つ姿だけを支えに
リクルートスーツも、履歴書も買わず、
営業活動に励んでいました。。。。
◆小田和正、降臨
そして、その数か月後、奇跡が起こり
ついに小田和正が大隈講堂へ。
新聞、テレビ各局、マスコミが押し寄せ
大隈大講堂前は徹夜騒ぎの長蛇の列。
翌日のスポーツ紙には
デカデカと我々の活動が掲載され、
代々木第一体育館で行われた
小田さんのコンサートで
私たちはスポットライトを浴び
フアンの皆さんに挨拶をすることになりました。
~長くなりましたがまだまだ勝手に続く~
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