【4817】震災時の記憶。

2018年3月11日(日)

ノンストップで14年目突入。

連続更新4817日目の超個人的ブログです。


「3・11の津波の映像を

何度も繰り返し放送することは必要なのか?」

というテーマで、

夫婦で意見が割れました。


*ちなみに私は「不要」だったのですが

話し合いの結果、敗北しました。



◆3・11を覚えていますか?


私は前日深夜までテレビ東京の番組に

コメンテーターで出ていて、

打ち上げなどもあり、朝が遅かったんです。


よってその日は自宅にいました。


いきなり、マンションが倒れるんじゃないかと

思うくらい揺れて、本棚が崩壊しました。


窓の外から東京湾を見ると、

千葉の方で石油タンクか工場が燃えていて

真っ赤な噴煙が上がっていました。


こりゃ大変だ!と。


エレベーターがストップし、

うちは高層階なので

全く身動き取れなくなりました。



一方、まいさんは営業先訪問の後

震災に会い、ものすごい喧騒の中で

寒空を6時間かけて歩いて帰宅。


「どっちに歩けばいいのかわからない」状態の中

携帯も全くつながらず、ひたすら歩いたと。


交通機関がすべてストップし

道路も全く動かず、首都機能崩壊。

おびただしい帰宅難民が出ましたね。


渋谷の駅は何万人という人であふれかえり、

皆さん深夜10時間とかかけて

歩いて帰った方もいると報道されてました。



イオンにあった食料品は、ほんの1日で

「全く」と言っていいほどなくなりました。


不安や恐怖に感情が支配されるときの

情動行動はすさまじい。


「何も売ってない」のに

人だけは集まってくる感じでしたよ。


CMは「エーシー」ばっか流れてましたね。



皆さん、非常食は準備されてますでしょうか?

避難グッズは揃えてありますでしょうか?

いざというときに家族バラバラだった場合の

連絡手段や避難場所は決めてますでしょうか?



3・11規模になると

備えあっても憂いだらけ、

備えあってもほぼ無意味、かもしれません。


しかし、備えは大切。


私たちの場合、

「心の準備」は整っていると思います。



常に「今日が最後の1日だ」と思って生きる。



合掌









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