【5870】高校時代の話。
2021年1月27日(水)
ノンストップで17年目突入。
連続更新5870日目の超個人的日記です。
◆朝から涙
いつも超個人的なことを書いてますが
今日は一段と超個人的なブログです。
備忘録的に記しておきます。
私は毎朝、今一緒に取り組んでいる
習慣化プログラムのコンテンツの
ブラッシュアッププランを考えています。
日々いろんな着想が浮かぶのですが
今朝は「2つの朝」というテーマで
2パターンの朝の使い方について
考えていたんですね。
すると、、、
高校生の頃の記憶が蘇ってきて
その後いろんな思い出が溢れ出し
涙が出てきて
いやーーー朝から感動した。
同時にそこから
「高校生活」についての
振り返りが始まりました。
◆志望したこともない高校
私は、中学3年間、模試で一度も
志望校に挙げたことがなく、
「全く」「1ミリも」
考えていなかった高校に進学します。
地方からの特別選抜枠での受験。
少数精鋭、偏差値難易度が高い状況。
私の受験校を決めるのに
自宅に校長先生も教頭先生も駆けつけ、
夜、両親を交えての会議が開かれました。
(受験する本人は参加していません)
結論は直前での願書変更。
「勝負・挑戦」ではなく
「確実・安定」路線で受験校が決定。
その結果、
「全く考えてもいなかった」高校に
進学することになります。
入学式で
「君たちは国立大学現役合格のために
この学校に来た!それに向けての
3年間が始まる!」といったゲキを飛ばされ、
超スパルタ教育の3年間が始まりました。
*ご存知の方も多いと思いますが
私は小学校5年生(10歳)の時から
「国立大学」ではない、
早稲田大学への進学を希望していました。
早朝、0限から夜21時までの学校生活。
帰宅は22時。連日大量に出される宿題。
土日も学校の図書館通学がほぼマスト。
試験の結果は1番から順に全校に貼り出され、
クラスはすべて成績順で決定。
襟章のクラスバッチが高校での人格でした。
自分のいたトップクラスはその中でも
成績順で2つに分かれ、席も成績順。
「起立!礼!」のあと
一番前列(=成績が一番下)は
そのまま床に正座し、椅子を机に授業を受ける。
テスト成績が悪いと竹刀で叩かれ、
中には、黒板に書く際使用する
大きなコンパスのネジで頭を何度も叩かれ、
流血する女子もいました。
◆国立現役合格のための3年間。
3年生の教室の前の廊下は
1,2年生は通ってはいけない。
理由は「受験に影響するため」。
修学旅行もないし、3年生は
全体朝礼にも出ない。
理由は「受験に影響するため」。
恋愛とか見つかったら男子は丸刈り。
謹慎室と言われる部屋で隔離される。
理由は「恋愛は受験に影響するため」。
野球部が快進撃で全校応援。
しかし「全員、英語のテキストを
球場に持参せよ!試合開始までは
スタンドで自習するように」のお達し。
理由は一緒。
受験前には体育館に全校生徒が集合。
「ガンバレガンバレ!●期生!」といった
掛け声を大声で叫ぶ、謎の「出陣式」が行われ、
「Z旗」と呼ばれる旗が登場。
この出陣式の日から
職員室にこの旗が掲げられ、
厳戒態勢に入ります。
*Z旗とは?(抜粋)
日露戦争でロシアバルチック艦隊を日本海で迎え撃つ
日本連合艦隊は戦力の劣勢をカバーするために
ロシアの艦砲射撃にさらされる危険な捨て身的な戦法で
日本海海戦に勝利。この海戦に際して連合艦隊司令長官
東郷平八郎大将はZ旗を掲げて
全艦隊の士気の高揚を図りました。
この海戦で大勝利してから日本海軍ではZ旗は
重要な意味を有するようになり
以後の日本海軍の海戦ではZ旗を掲揚することが慣例化。
ハワイ真珠湾攻撃の航空隊の発艦時にも
航空母艦のマストにZ旗を掲げ
士気を大いに奮い立たせた。。。
国立大学の試験当日にはそのZ旗を先頭に
3年生が2列に並んで
受験会場に向かって「出陣」行進。
在校生で花道を作り、拍手で送り出す。
どうです?この高校生活。
県立高校ですよ!!
書いてて「何だったんだ、あれは?」と
思い出し笑いがこみ上げてきます。
一方、あまり記すことではないですが
当然弊害は起きており、
私の同期でも短い人生を終えた仲間が出ました。
学内には同様のケースで、
理由は教えてもらえないけど、いつの日からか
「入れない場所」「開かない扉」などが
存在していました。
ちなみに私は浪人決定時、失意の中職員室へ。
励まされると思ったら、入るなり
担任からいきなり無言で
思いっきりぶん殴られ、
倒れたところに2回蹴りが入り、
「お前のせいで国立の合格者数が減った」と
鬼の形相で叱責されました。
(まさに地獄絵図。恐怖でした)
当時18歳の私は
床に伏した顔を斜めにあげながら
ほぼ土下座状態で「すみませんでした」と
声を絞り出しましたが
今思うとあのワードは
本音じゃないので撤回したい。
*そもそも、早稲田に関しては
高校に調査書を書いてもらえず、
受験すら認めてもらえなかったのです。
そんな高校生活のシーンが
久々に思い出された朝・・・。
そしてなぜこんな長々と
備忘録的に書いてるかというと
その高校生活に対する見方(感じ方)が
今朝、大きく変化したんですね。
それを書き留めておこうと。
この話、ほんとどうでもいい話で
申し訳ないですが、
明日に続けさせていただきます。
今、習慣化を図る自分と向き合う中で
いろんなことに気づき
人生がどんどん好転していく感じがします。
今朝は笑いあり、涙あり、
とても清々しい朝でした。
*上記の、日本海軍養成所(仮)の話と
「清々しい朝」というワードの
ギャップがありすぎてすみません!!
<補足>
母校の後輩たちの名誉のためにお伝えすると
その後、この行き過ぎた受験戦争教育は
NHKスペシャルなどで特集、バッシングを浴び
今は「そこそこ厳しい学校」程度に落ちつき、
穏やかに歴史を重ねております。
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